シリーズ「iPS細胞 臨床への挑戦」 藤渕航・京都大iPS細胞研究所教授
出所:2013-08-26 読売新聞「標準細胞」確立目指す
iPS細胞(人工多能性幹細胞)を人の再生医療などで応用する際、重要になるのが細胞の品質だ。品質が悪ければ、人体への悪影響が考えられるからだ。一定レベル以上の水準を保っているかどうかを判断するには、細胞で品質管理の基準となる「標準細胞」が、各部位の細胞ごとに必要になる。多種多様な細胞を分類し、標準細胞の確立を目指す京都大iPS細胞研究所の藤渕航(わたる)教授(46)に分類法などを聞いた。■ものさし作り
細胞にはいろいろな種類がある。ただ、同じ皮膚細胞でも、手の皮と頭皮は外見からして異なり、筋肉細胞も、腕の筋肉と舌の筋肉では違う。教科書には、人体の細胞は約200種類あると書かれているが、再生医療で使用する場合、その分類は大ざっぱすぎる。我々は人体を2000を超す領域に区分けし、それぞれの細胞を採取した。
分類は、〈1〉細胞の形状〈2〉どんな遺伝子が主に働いているか〈3〉各細胞の機能や特徴を研究した過去の論文はどうなっているか――といった観点で行う。細胞の形状や遺伝子の働き方を比較する際には、人間の目では分からない細胞の微細な差異を判別できるコンピューターが活躍する。
これらを総合してiPS細胞や通常の体細胞、体細胞のもとになる幹細胞の分類を進め、データベース化に取り組む。細胞評価のものさし、言い換えれば、工業製品における国際標準化機構(ISO)の規格を作っているようなものだ。
「質の高い分類表を作り、iPS細胞の臨床応用に貢献したい」と話す藤渕教授(京都市左京区で)=野本裕人撮影
iPS細胞から目的の細胞を作製する際、こうした標準細胞のデータに照らせば、作製した細胞の品質を判定できるようになる。iPS細胞から作った細胞に薬や化学物質を作用させ、安全性を調べる方法が有望視されているが、例えば、物質AとBの毒性を比べる際、品質がまちまちな細胞よりも、標準細胞を使った方が厳密な比較ができ、信頼性が増す。iPS細胞の応用をリードするためにも、標準細胞は世界に先駆けて確立したい。
■基礎研究にも貢献
似た性質の細胞同士を隣り合わせて並べていくと、元素の周期表のような分類表ができる。
元素の周期表は、水素に始まり、ヘリウム、リチウムと、原子核中の陽子数に従い、整然と並んでいる。化学反応の過程が理論的に予測できるのは、周期表で元素同士の関係が分かっているからだ。「ある細胞に物質Bを作用させると細胞Cに変化する」といった研究は今は手探りだが、分類表を貫く法則を探ることで、化学のように理論予測が可能になるかもしれない。
細胞の分類表を試作するうち、表にはいくつか空白があることが分かってきた。
元素の周期表も、当初は空白があり、それを埋める形で新元素が見つかった。例えば原子番号43のテクネチウムも空白から存在が予測され、発見された。細胞分類表の空白部分も、未知の種類の細胞が存在する可能性を示しており、新発見が期待できる。
当面の課題は、細胞のより精密な解析手法の開発だ。これまで、細胞内部で働く遺伝子や物質を調べるには、一定数の細胞が必要で、精度も悪かった。我々は1個の細胞でも精密に解析できる技術をほぼ確立した。細胞を提供してもらう医療機関も確保できている。政府からの科学研究費など資金的なメドがつけば、技術開発は一気に進むだろう。
(聞き手 原田信彦)
<藤渕さん こんな人>
生物とコンピューターに精通している。大学1年生の時、「自分は生物学の教授になる」と決意したほどの生物好き。しかし、危険な試薬を自分の足にかけてしまうなど実験での失敗が多く、「理論中心で実験のない」研究分野に進み、バイオインフォマティクスが専門となった。
2007年に山中伸弥教授が人のiPS細胞作製を発表した時、産業技術総合研究所に所属していたが、「将来、きっと自分の細胞分類の研究が必要になる」と直感した。細胞解析に必要なソフトウエアなどの準備を入念に進め、京大iPS細胞研究所の研究者公募を待っていたという。
◆生物学と情報学 組み合わせて解析
細胞の分類を進めるため藤渕教授が用いる解析手法は、生物学とコンピューターを駆使した情報学を組み合わせた「バイオインフォマティクス」だ。
人のゲノム(全遺伝情報)の解読成功が宣言された2003年ごろから盛んになってきた研究手法。細胞の中で起きる分子レベルの現象を、コンピューター内で再現して薬の作用を予測したり、病気の原因を探ったりする。幅広い応用が期待されている。
今回のように、多種多様な細胞の形状や機能などを正確に比較して分類するには、細胞から得られた膨大なデータを処理する必要があり、バイオインフォマティクスの手法が欠かせない。