今こそ、患者ニーズと向き合った成長戦略を。

昨今、日本の頭脳流出という言葉を耳にして久しい。今回またも日本のトップ研究者の一人が海外に流出するという報道が流れた。しかも政府が特に力を入れている再生医療の分野でである。いったい、どのような問題が存在しているのであろうか。

東大・中内教授:iPS有力研究者が米国流出

出所:2013-09-05 毎日新聞

人工多能性幹細胞(iPS細胞)を使った再生医療研究の第一人者、東京大医科学研究所の中内啓光(ひろみつ)教授(61)=幹細胞生物学=が、米スタンフォード大に年内にも研究室を開設し、3年半後に完全移籍することを毎日新聞の取材に明らかにした。中内教授は、iPS細胞を使ってブタの体内でヒトの臓器を作製することを目指すが、日本では現在、研究指針で禁じられている。政府の成長戦略の柱となっている再生医療のトップランナーの「頭脳流出」は波紋を広げそうだ。

研究指針については、政府の生命倫理専門調査会が今年8月、中内教授の研究を踏まえ、動物の受精卵にヒトの細胞を入れて、子宮に戻す基礎研究を条件付きで容認。5日、指針改定に向けた議論が始まる。だが、中内教授は、規制によって研究が2年半停滞したと指摘し、「もしこの研究しかしていなかったら、とっくに海外に移っていただろう」と明かした。「今後指針が改定されるとしても実施までは何年もかかる。リスクをとらないという日本特有の体制では、新しいことはやりにくい」と語った。中内教授によると、数年前から、スタンフォード大や英ケンブリッジ大など海外の複数の大学から移籍の誘いが来ていた。

スタンフォード大には教授として赴任し、カリフォルニア再生医療機構から6年で約6億円の研究費が支給される。東大の定年までは日本でも研究するが、3年半後は完全に米国に拠点を移す。中内教授は「(移植可能な臓器を作るという)医学上の利益が目的。日本での研究の遅れの責任は誰が取るのか」と話した。中内教授チームが計画している実験は、特定の臓器が欠けるよう操作したブタの受精卵(胚)に、ヒトのiPS細胞を移植して「動物性集合胚」を作り、ブタの子宮に着床させる。欠けた臓器の場所にヒトの細胞からできた臓器を持つブタが生まれれば、その臓器を将来、移植医療や新薬の開発に応用できる可能性がある。

頭脳流出でよく挙げられる代表的な要因として、海外の研究環境では雑務が少なく研究に集中できる、海外には人種や性別や年齢だけではなく専門の壁までも乗り越えて研究者同士が活発な議論を重ねて研究を発展させられる土壌がある、などがあげられる。

しかし、今回の再生医療の代表的な研究者の一人である中内教授の海外移籍には、これまでの研究者の海外移籍理由とは違ったものを感じる。上記の新聞報道を見ると、中内教授は今回の移籍理由を、「医学上の利益が目的。日本での研究の遅れの責任は誰が取るのか」と明確に言っている。意訳かもしれないが誤解を恐れずに言うと、この発言は、医学の利益を享受すべき”患者ニーズ”を満たせていないことへの責任にも言及しているのではなかろうか。

たしかに、最近の政府の取組の一つとして日本版NIHを設立するなど、政府が医療分野を成長戦略の柱の一つとしたことは高く評価できる。しかし日本版NIHの内容をよく見てみると、「省庁が縦割りで予算を配分していた研究機関や大学の研究をNIHが管理する。民間企業がこうした公的な研究に資金を投じる仕組みをつくり、官民共同で医療分野の競争力を高める」といった各省庁のタテ割りの弊害を無くすことに主眼が置かれているが、果たして、このような日本版NIHで患者が何よりも望んでいることを実現できるのか。

例えば、一部のガン患者などが切望していることに、新薬の早期承認がある。しかし、依然として承認が遅いといった声はなくなっていない。これは、薬事審議会での治験データーの審査官の数を増やす、難病などの特別疾患は他の病気よりも優先的に新薬の承認が早く行われる仕組みにする、厚生労働省の新薬の審査基準を明示する、などと多くの識者が改善方法を言及しているにも関わらず、長年、状況はほとんど変わっていない。

今回の再生医療のトップランナーの「頭脳流出」を機に、改めて患者の声(=ニーズ)に耳を傾け、政府として何を優先的に対応すべきか、という基本的な姿勢に立ち戻る良いタイミングなのではなかろうか。
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