再生医療、iPS細胞以外も研究進む、米・特許で先行
出所:2013-04-30 日本経済新聞皮膚などから作れ、様々な細胞に成長するiPS細胞を使った臨床研究が2013年度内にも始まる。理化学研究所が目の病気の治療を目指す。今後、2~3年で血小板や心筋を再生して病気治療に使う試みも始まる見通し。ただ、再生医療はiPS細胞の利用がすべてではない。他の細胞を使う方法にも有望なものがあり、特に米国の動向からは目が離せない。
京都大学の山中伸弥教授が籍を置き、世界トップレベルの医学研究機関として知られる米国のグラッドストーン研究所(カリフォルニア州)。ディーパック・スリバスタバ心臓血管病部門ディレクターらは心筋梗塞を起こした心臓に直接遺伝子を注入し、iPS細胞などを経ずに元気な心筋細胞に生まれ変わらせようとしている。ダイレクト・リプログラミングと呼ばれる手法だ。
3つの遺伝子を入れる手法で心筋細胞を効率よく作れることを見つけ、300匹以上のマウスで実験した。これらの遺伝子はiPS細胞を作るときに使うものとは異なる。
心筋梗塞を起こして傷んだ部分に現れた線維芽細胞に、遺伝子をレトロウイルスというベクター(運び手)に組み込み注射した。4週間後に心臓の細胞を詳しく調べると、約半分が心筋細胞独特の形状を持つ細胞に変わっていた。
こうした研究は日本ではiPS細胞研究の陰に隠れてしまい、あまり目立たない。しかし、グラッドストーン研では極めて重要な研究としてピッチを上げている。スリバスタバ・ディレクターは心筋細胞ができる確率を「8割まで高める」と意気込む。患者を対象にした臨床試験へ向けてブタでも実験を始め、近くサルでも開始する。
線維芽細胞から心筋細胞への変化を遺伝子レベルで細かく調べ、メカニズムの解明と確実に変化させる手法の確立を急ぐ。受精卵から得られる万能細胞である胚性幹細胞(ES細胞)を使い、心筋細胞などの研究を長年してきた蓄積が役立っているようだ。iPS細胞はもとの細胞をいわば強引に、受精卵の中にあったときのような状態に戻す「初期化」によって作る。初期化しきれない細胞が残るなどの理由で、後から腫瘍ができる場合もある。スリバスタバ・ディレクターはダイレクト・リプログラミングの場合、「(iPS細胞のような)初期化の必要がないので腫瘍のリスクを減らせる利点がある」と指摘する。より安全な治療へ向け、遺伝子ではなく低分子化合物を線維芽細胞に入れる方法も開発中だ。国際的にも関心は高く「心筋以外の細胞にも応用が広がるかもしれない」とみている。iPS細胞は体内に入れる再生医療よりも、むしろ新薬開発のツールとして役立てるという。例えばiPS細胞から作った心筋細胞に新薬の候補物質を反応させ、副作用の危険がないかを調べる。主要な心臓病の患者のiPS細胞を既に備蓄しており、いつでも使える態勢を整えた。余談になるが、グラッドストーン研はドアで隔てずに実験室をずらりと並べ、研究者が自由に行き来できるようにしたオープンラボ形式。山中教授はこれを非常に気に入り、10年に京大に開設したiPS細胞研究所にもさっそく取り入れた。議論が活発化し、新しいアイデアが生まれやすくなると期待している。
話を再生医療研究に戻そう。米ステムセルズ社(カリフォルニア州)は死亡した胎児から得られた神経幹細胞を、脊髄損傷の患者に投与する臨床試験をスイスのチューリヒ大学付属病院で実施している。損傷後4~9カ月の慢性患者で、胸部より下の神経機能が完全に失われた3人が対象だ。2000万個の神経幹細胞を入れ、しばらくは免疫抑制剤を投与。1年経過した時点で2人の触感や熱さ、電気刺激に対する反応に改善が見られ、このうちの1人は症状の程度が1段階軽くなったという。もう少し軽度の脊髄損傷患者への臨床試験も始めており、経過が注目されている。
日本はiPS細胞の作製や、それをもとに様々な組織の細胞を確実に作る技術では世界の先端を走る。政府はiPS細胞研究に、今後10年間で約1100億円の予算を振り向ける計画だ。再生医療の臨床研究を目指す中核拠点も決まった。京大はiPS細胞の作製法に関する重要な特許をいくつも保有し、米国でも成立している。万全の態勢を組んだように見えるのだが、落とし穴もある。例えば万能細胞の最高の研究材料とされるES細胞を使った研究は米欧などに比べて下火になっており、iPS細胞との比較研究に支障が出ると懸念する声もある。がん発生のリスクがiPS細胞に比べて格段に小さいES細胞を実際に病気の治療に使う試みは、倫理上の問題などから日本では事実上ない。
日本の幹細胞の臨床研究指針では胎児の細胞を使う治療を認めておらず、米国などで研究が進む治療法を試せない。iPS細胞やES細胞ほどの万能性はなく、特定の細胞や組織にしか成長できないものの世界で豊富なデータがある体性幹細胞の研究も日本では脚光を浴びにくい。米国のように様々な専門家を含む厚みのある研究者層を築くのが難しいのが実情だ。今後、iPS細胞を実際の治療に使うには作製法などの技術が優れているだけでは不十分だ。ES細胞などを使った研究の蓄積がモノを言う。山中教授は「細胞の培養や維持、(万能細胞を欲しい細胞に変える)分化誘導、移植などの特許は米国が先行している」と指摘。「クロスライセンスなどが必要になるし、相手の協力を得られない場合は別の方法を考えなくてはいけなくなる」と危機感を示す。
iPS細胞を素早く臨床応用に結びつけるには海外の動向もにらみつつ特許や規制、コストの問題などを乗り越える方策を早くから練っておく必要がある。研究者の裾野を広げるだけでなく、こうした問題に詳しい専門家も巻き込んで、先手を打って動く発想が欠かせない。